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カルメン・マキ 20世紀最後の私は風 part 1

カルメン・マキを紹介します。
彼女は、1951年、神奈川県鎌倉市生まれで東京育ちです。
私より6歳年上ですね。
父はアイルランドとユダヤの血を引くアメリカ人で、母は日本人です。
1968年、高校2年で中退し、寺山修司の劇団に入団します。
以後、1969年、ソニーレコードより「時には母のない子のように」で歌手デビュー、この曲は皆さんもご存知のように大ヒットとなり、レコード大賞を受賞しました。
とても暗く心に染込むような唄で、彼女の無表情でちょっと投げやりにも見えかねない、仕草が印象に残っています。
ただ、彼女の才能はここでとどまらず、ロックへの転向にて、より衝撃的な印象を、当時の若者に提供したのでした。

1972年、「カルメン・マキ&OZ」を結成します。
その頃、彼女は「ジャニス・ジョプリン」に影響を受けていたともいわれています。
この歴史的で絶対的なバンドの、初期メンバーは、春日博文(ギター)、鳴瀬喜博(ベース、後にカシオペア加入)、樋口晶之(ドラムス、元竜童組)で構成され、後にベーシストが、千代谷晃(1stアルバム時)、川上茂幸(2ndアルバム時)へとチェンジしていきました。

1974年にポリドールからシングル「午前一時のスケッチ」でデビューし、
翌1975年1月には、冒頭で紹介した、ファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリースするのです。
このアルバムは、とても高い評価を得、10万枚以上を売る大ヒットとなりました。
この時の、マキの、シャウトする声質は、とても感動し身震いさえするのです。
そして、このアルバムに収録されている大作「私は風」は、日本のロック界の代表曲ともいえるのではないでしょうか。

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ちあきなおみ 黄昏のビギン

参りました。
とても長い間生きているのですが、まだまだ数知れぬ唄があるようです。
感動しました。
「黄昏のビギン」です。
言葉で表現出来ない程、とても胸に染入るのです。
唄っているのは、ちあきなおみ。。。
以前の記事「四つのお願い」で紹介したのですが、どうも彼女から、はなれられないようです。
この唄は、永六輔+中村八大という「上を向いて歩こう」のコンビにより世に出て、水原弘が唄っていました。

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2度目の登場です。
それほどお気に入りなのでしょうか。
そうなのです。
You Tubeにて、めぐりめぐり、どういうわけか、「恋の追跡」を観てしまったのです。。。
たぶん、私は当時多感な時期だったのでしょう。
またまた、感涙にむせかえりました。
欧陽菲菲、おーやんふぃーふぃー、オウヤン・フェイフェイ、OuYang FeiFeiは、本名:式場欧陽菲菲です。
1949年9月10日生まれですから、わたしより8歳年上です。

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暗くて暗くてたまらない彼女ですが、このアルバムにはそんな彼女のヒット曲がたくさん詰まっています。
宇多田ヒカルの母親としても有名になっていますが、デビュー時の衝撃は、娘にひけをとりません。
1951年岩手県一関市で生まれた彼女は、54年北海道旭川(現在、私の住まいがあります)へ転居し、1968年札幌雪まつりのステージで歌い、スカウトされ上京しました。その後スター街道を走ることになった訳です。
1970(昭和45)年のヒット曲でもある、「圭子の夢は夜ひらく」は、もともと園まりさんが「夢は夜ひらく」として、唄っていました。
とてもインパクトのある歌詞でした。
たしか。。。

「十五、十六、十七と、私の人生、暗かった、
過去はどんなに、暗くとも
夢は夜ひらく」

「赤く咲くのは芥子の花、
白く咲くのは百合の花、
どう咲きゃいいのさ、この私、夢は夜開く。。」

このような歌詞だったと記憶しています。
他にも、新宿の女、命預けます、などなど、とても暗い歌が満載のアルバムです。

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